あいざわ君のこと

昨日はアイザワ君の命日でした。
アイザワ君が亡くなってから一年がたちました。


去年の夏、混乱の中で二十日間かけて書いたけれど
結局公開出来なかった文章を先日ふと読み直して、
忘れていたことをたくさん想いだして、
なんだか、とても大事なこと書いてある気がして、
今ならば公開してもいいようなきがしたので
今更だけれどのせようとおもいます。


とっても個人的な手記です、
どうかここに載せることをお許しください。


         ***



2012年8月21日
きょうはとってもとっても長くて重い内容なので
読みたいひとだけ。



友達が亡くなりました、
アイザワ君という素敵なミュージシャンでした。


知り合ったのはもう多分7年くらい前。
初めてライヴを見たときから彼の音楽がとても好きでした。


アイザワ君とはちょうど二年前の、半年間、
朝から晩まで毎日一緒にあそんでいました。


日記を見たらちょうど2010年の8月1日
ミッシング箱庭のスタジオで久しぶりに逢って、
そのまま数日後、うちに居着いてしまい、
毎日のようにいつも居るようになったのです。


アイザワ君は昼でも夜でも早朝でも迷惑関係なしに
歌いたくなるとギターを抱えて歌いだし、
月が綺麗だと見に行こうと真夜中に起こされ、
いい飲み屋があると入ろうと言って聞かなかった。
そして毎日毎日色んな音楽を聴かせてくれました


私はあの夏、からだはボロボロだったけど、
心はものすごくいきいきしていました。
それまで抱えてきた何時間もぼーっとしてしまう鬱や、
人と長く居るとものすごく疲れてしまうから
人と居れないという自分の病も、
いっこうに帰ってくれないアイザワ君のつきまといに押し切られ、
(つきまといってアイザワ君が自分で言ってた笑。)
一日中言っている冗談に笑わかされて気づいたら治っていました。
(そのかわり自分の音楽はいっさい出来なくなったけど。)


そしてアイザワ君はいつも過去の話ばかりしていました。
本当に、今まで逢った人のことや起こったことを
いとおしそうにいつも話していました。
私はその話を聴くのが好きだった。
いつもあんまり幸せそうだったから。
(特に10年位一緒に居た昔の彼女の話)


それまでひとりぼっちでいろんなものを抱えていた私の、
持っていた寂しさや悲しさと、
同じようにひとりぼっっちでいろんなものを抱えていたアイザワ君の、
持っていた寂しさや悲しさが、
あのとき確かにとても近く
こころから色んなことが理解し合えたのです。


わたしはアイザワ君を自分のお兄ちゃんのように想っていたし
顔も似ていたらしく、わたしたちはどこに行っても兄弟と間違えられて
お互い嫌がってたけれど、多分そうなんだろうなと想っていました。
アイザワ君の深い深い綺麗な瞳を見たらいつも、
自分の悲しみが映っているような気がしたものです。


いろんないろんなことがあった。
ここにはとても書ききれないような
嘘みたいに面白いことやとんでもなく迷惑なこと
毎日毎日が予測出来ない事件ばかりで、
息つく暇もないくらいでした。


そのなかでもいつも、
アコギ片手に突然歌いだすのを聴くのは
とっても素敵な時間でした。
私はアイザワ君の音楽のファンで、
今もそれはかわりません。
(最後にライヴを見たのは、2010年12月に、
高円寺のUFOクラブで、自分が企画して呼んだときだった。
あれはいいライヴだった、本当に。)


ある日アイザワ君が事故って救急車で運ばれて
駆けつけたら顔が二倍くらいに腫れていました。
肝臓が弱りすぎて血が止まらなかったからでした。
わたしは医師から病状をきいて、
次の日肝臓病の本を立ち読みして、
病気がどれくらいひどいかを知りました。


知ってしまったらいっきに、それからは毎日、
お酒飲んでいるのを見るだけでつらくなって、
このままじゃ死ぬよ、音楽できなくなっちゃうよ、と脅しつけて、
お酒をやめさせようと毎日説得していました。
アルコール依存症治療の病院を探して
一緒に行ったりしたこともありました


でも彼は入院しなかったし、
彼は自分の生き方をかえたいと心から望んではいなかった。


私はそのことに失望し、せっかちになりすぎて、
だんだん彼の自由に干渉的になっていき、
彼も私の社会的な部分を否定ばかりするから、
どんどんお互いに傷つけ合って、
何度も大げんかして結局最後逃げました。


最後は私が企画してるライヴ会場に殴り込みに来て
そとで大騒ぎし、アコギで殴り掛かってきて、
頭突きされて鼻血が出ました。
誰かが呼んだ警察が来て、なんとかその場は収められました。
「あんたなんてもう死んでもいい 何も想わない」
私が最後に直接言った言葉です。
(でもどこか兄弟喧嘩みたいなおかしさがありました)


その後電話で仲直りしましたが、
わたしは、「もう、あそべないよ」、と言って、
それから結局一度も会うことはありませんでした。


そのあと私は「ひかるゆめ」を発売し、
アイザワ君のことはいつも頭の片隅にあったけれど、
どうなったってもう知らない、と
自分に言い聞かせて、
ずっと前しか見ないで、忙しく暮らしていました。
アイザワ君と決別することは、
自分の中のそれまで大事にしてきたなにかと決別することでもありました。
それは自分へのなにか強い決意のようなものでかたまっていました。


だから、何度か電話もあったけれど、
ちゃんと話を聞かずにすぐに切っていました。


いつかこういう連絡がくると、どこかで覚悟してはいたけど、
本当には想っていなかったのだと思います。


亡くなったことを聞いたのは、ミッシング箱庭のスタジオででした。
なんか笑ってしまって、でもからだは震えてた。


そこからなんだかわけわからなくて、ずっとぼーっとしていました。
お通夜まで、ものすごく暗い気持ちでした。
わたしは行っていいのかな?とたくさん考えました。


お通夜で、顔を見るのが正直恐ろしかった。
でも久しぶりに見たアイザワ君は、
とっても優しい穏やかな顔をしていました。


その顔を見て、心からほっとしました。
私のことも、この世界のことも、自分のことも、
もしかしたらもう許してくれてるのかもしれないって気がして。


すごくすごくほっとしました。



お通夜はすごかった。
革ジャン着た超気合いはいった人や、
肩に龍の入れ墨が入った金髪の綺麗な女性や、
パジャマみたいなよれよれの服の人や、
TASKEやすげちゃんやなかしーや・・
(わかる人にしかわからなくてごめんね)
おまけに色んなロックがかかってて、
アイザワ君の曲もかかって、幸せだった。


しまいに、棺桶にお酒置いてみんなまわりで飲み始めちゃって、
アイザワ君のギターを弾いたりして。


みんな、アイザワ君を愛していたのだと想った。綺麗ごとじゃなく。



わたしはほんとは通夜しかいかないつもりだったから、
最後の挨拶をしようとするも、離れがたく、
ずっと顔を見ていました。


そして結局無理言って仕事休んで、次の日の告別式にも行ってきました。


告別式はあっけなかった、
お花をかおのまわりにしきつめたあと、
親族だけですぐ棺桶に蓋をされてしまって、
私は、まだお別れがちゃんと出来てないことにはっと気づいて、
いやだ、いやだ、と心の中で叫びました。
霊柩車に乗る前にお父さんに頼み込んで顔のふたを開けてもらって、
もう一度顔を見せてもらって、
大柴君が「なんか、耳は聴こえるらしいよ!」っていうから焦って、
みんなで「アイザワ君!アイザワ君!」と大声で呼びました。
あんなに大きな声じゃなくても聴こえるのだろうけど、
なんだか届かない気がして、気づけば何度も大声で叫んでいました、
そして最後のお別れの言葉を言いました。


お通夜のときは、からだがすぐ横にあったし、
もう逢えない感じがしなかったから、安心感があって平気だったのに、
霊柩車に乗せられてゆくときはほんとにいやで、いやでたまらなかった。
結局、焼き場までついていって、
釜に入れたあとも、ずっと焼き場の前で、ついていました。
冷たいステンレスの焼き場の入り口に体をつけて
燃える火の音をずっと聴いてました。
最後になにも出来なかった自分のためでもあるし、
アイザワ君は寂しがりやだから、
近くに居た方が安心すると想ったから。
いや、でも、自分がそばにいたかっただけだったのかもしれない。


一時間半か二時間くらい突っ立っていて、途中でたぶん、
もうそろそろここにはいなくなったなって感じがしてきた、
空にのぼっていってるなって気がした。


途中何度か注意されて、少しだけ離れたところに座ってる時間もあって、
そのとき黒い蝶みたいのが、ふらふらふらふらと目の前を飛んで、
とにかく変な飛び方で、端までいったあと居なくなった。


もしかしたらアイザワ君だったんじゃないかなと想ってる。


親族の人には少し迷惑なことだったかもしれないけど
私はその時間に、一番お別れが出来て、
だから、骨を見たときも、大丈夫だった。
最後、とても綺麗でした。


ほんとにちいさくなっちゃって
けろよんと同じ大きさになっちゃったねって話しました。


終わってからまわりのみんなで飲みにいって、
アイザワ君の思い出話をたくさんしました。(半分以上悪口でした笑)
こういう席にもよくアイザワ君が居たから寂しい。
とにかく人と居るのが大好きだったもんね。


何日間か、想いだすと寂しくて涙がボロボロ出てきていたけど、
一週間くらいたって、もう出なくなってる。


友達がたくさん慰めてくれて、
「音楽を聴けば逢えるよ」と言ってくれたり、
それでアイザワ君の音楽ばっかり聴いてたけど、
だんだん他のも聴くようにし始めました。


もっと私がそばに居てれば、もっと頑張ってれば、
なんとかお酒をやめさせることが出来たかもしれない
もうちょっと長く生きてたかもしれない、
とここ数日間何度も何度も想った。
でもそう出来なかったし、そうしていたとしても、
止めることなんて出来なかったようなきがします。
そこはわかりません、そのことだけは今更どう想っても。


本当にアイザワ君は凄い人でした。
アイザワ君はアイザワ君だけでした。
心も、言葉も、我がままも、冗談も。
いないと美化しそうになるけど、
やっぱり最低なとこはほんとうに最低だったし、
あんなひどいことを人から言われたりやられたのは
後にも先にもアイザワ君からだけだし、
あんなにうんざりだ、って想っていたくせに、
最後居てあげなかったくせに、って自分で想うけど


凄いところは凄すぎて、それがわかってたから
だからこそ近くに居れなかった、
自分の人生が生きれなくなっちゃう気がしたから


わたしは今、アイザワ君にみみっちいって馬鹿にされるとしても、
自分のこの平凡な生活を肯定して、ただ頑張っていくしかないと想う。
生きることを選んじゃったからね、


アイザワ君と居たあの毎日遊んで暮らした半年間は、
どんな映画より強烈で、目まぐるしく、楽しかった。
もうあんなふうに人と居ることは一生ないと想う。
でもわたしはあのときアイザワ君と過ごせたことを忘れないし、
一生胸の中で光り輝くと想うよ、
本当に、逢えてよかった。



そしてアイザワ君は、
けしてあきらめていなかったし、いつも未来を夢みてました。
生きたくて、音楽がしたくて、人と居たくて、とても、そこはつよかった。
寂しがりやで欲ばりで、甘えん坊で、楽しいのが大好きで、
すぐ想ってること全部言っちゃって、感情の起伏がひとより激しすぎて、
人と居ると嬉しくなりすぎて、相手にどこまでも甘えて迷惑がられて。
それをこの世界では抑さえないと生きていけないのにそれができなくて、
どうにかそこに合わせるためにお酒や安定剤の力を借りるしかなかった。
でもそのせいでますます自分がコントロールできなくなって
大好きなものや人との関係を自分でこわしてばかりだった。
現実が見えすぎると悲しくなるから四六時中酔っぱらって
半分ぼやけた世界でいつも夢みて暮らしてた。
そうやって自分のなにかを削り続けることでしか
ここに存在して居られなかった。
それが彼の命を奪うことになったとしても、
この世界に生きるために彼はそうした。
それを臆病といえるだろうか、みんなちょっとずつやってること。
その調整の、いろんなことを人よりちょっと間違えてしまっただけだった。
それが少しずつ少しずつずれていって大きくなってしまっただけだった。
馬鹿で、不器用にもほどがあった。程々が出来なかった。
その分情も強かった。音楽も、人も、好きになりすぎなくらい愛した。
この世界をものすごく愛していたからずっと居たかったと想うよ。


そういえばアイザワ君にある日言われたことをずっと覚えてる。
とてもくさいことを平気で言う人だった。
「君の涙で世界を変えることは出来ない 
でも君の笑顔は世界を変えることが出来るかもしれないよ」
私が泣くと「泣き女はきらい」と言って嫌がった、
でもアイザワ君の方がすぐ泣いた。
「ジョンレノンはなんで殺されたの」とか、うんざりするようなことで。





残されたものは、
このこともまた過ぎ去っていく日々のかなたに
なにを受け取り続けてゆくのか


アイザワ君は天国で全然大丈夫。
残されたものはどう生きてゆこう。
自分次第だなぁと想います。


悲しいは消えても、寂しいはずっと残るね。
忘れたくないし。


当分はぼーっと過ごすけれど、
心配しないでください。


周りの皆にもほんとうにありがとう。
感謝でいっぱいです。


同じように寂しさを共有している仲間が沢山いることが、優しい。



そして興味がある人は是非彼の音楽を聴いてみてください。
それが生きていたあいだに彼が一番望んでいたことだと想います。




アイザワ君ありがとう、忘れないよ、
おつかれさま、またね。