ありがとう。

3月22日の日記に書かせていただいた、
大阪でのライヴ、「shining2」のこと、
やっと、ちゃんと、書けました。
長文です、読みたい人だけ、読んでください、ね。


3月22日、大阪のライヴ、
まだはじまったばかりの春の日の
コートがなくても大丈夫な一日あたたかな日でした。


あの日は今想うとわたしの、
転機で、新しいスタートの日となったようなきがしています。
いや、スタート出来たのはその次のライヴからかもしれない、
迷って迷っていた日々の最後の日だったような気がします。


私は、去年の夏身近な人たちが亡くなって、
ますます死というものがわからなくなっていました。
考えすぎたのかもしれません。
ある時から逆に考えられなくなってしまって、
最近死のことを想うといつも、
わけのわからない怒りのようなものが湧いてきていました。


だけど今回の企画に呼んでいただいたことは
自分にとって本当に本当に嬉しい出来事で、
何ヶ月も前からとっても力が入っていました。
そしてライヴが近づいてくるまでに
自分の中でこのライヴに対する気持ちをきちんと
整えておこう、と考えていました。


大阪のライヴの一週間前に仙台に行って、
一昨年前行った同じ被災地に伺いました。
津波に飲まれた土地は、新しい変化なんてひとつもなくて、
ただただ殺伐とした跡地が広がっていました。
そのときもただ怒りのようなものが湧いてきて
とても気分が悪くなってしまいました。
受け入れたくない、考えたくない、と
心が拒否しているような感じでした。


仙台のライヴでは一昨年は震災のことを想ってうたったけど、
今年は震災のことについてなんにも触れることが出来ませんでした。
ひとことも自分の想いというのがでてきませんでした。


気づけば大阪のライヴは目の前だったけれど
まだ気持ちが整っていないのが自分でわかっていました。
私は行きの新幹線の中でもいろんなことを考えていたけれど
結局、よし、という気持ちになることが間に合わなかった。


大阪について、いざステージに立ちながら、
うたっていたとき心に浮かんでいたのは
「わからない」という気持ち。
こんな素晴らしい企画に呼んでいただいて、
沢山のお客様が見に来てくださって、とっても幸せで、
全力でうたう以外に迷うことなんて何もないはずなのに
そのわからない気持ちにがんじがらめにされて、
なんだか自分の心の中心にうたが溢れてこない。
本当に今日じぶんがうたうべきうたがわからない。
ひとつ膜がかかった中でうたっていたような気がします。


でも、あるMCをして、
そのとき感謝とある気持ちがたくさん溢れてきて、それは
ひろみさん今まで本当に私のうたを聴いてくれてありがとう、
悠さんこの場所に呼んでくれてありがとう、
という気持ちでした。
それだけはほんとうにほんとうだったけれど、
情けないくらい自分自身が色んな気持ちに混乱し翻弄されていて、
歌詞を忘れたり間違えたり、ライヴとしては燦々たるものでした。
気持ちを自分のうたううたとして反映させることが出来なかった。
悲しい嬉しい、で止まってしまいその先に進むことが出来なかった。
人に聴かせるうたは、その一歩先に行かなければならないと想う。


そして自分のライヴの後にちひろさんのうたを聴いて
私はたくさん涙が出ました。
それこそちひろさんのうたは一歩どころか十歩くらい先に行って、
そこに居る人たちみんなを引っ張っていってくれるようなうたでした。
ほんとうにほんとうに、素晴らしいライヴでした。
こんなにも優しいうたをうたっている強さの影に
どれだけのたたかいがあったんだろう。


全部おわったあと、
主催してくれた悠さんの表情を見て、
とっても見とれてしまいました。
悠さんは凄くいい顔をされていました。
彼女の頬は桃色に光っていて、とっても綺麗でした。
悠さんは私の方に来て、ぎゅっと強く握手をしてくれました。
その手はとてもあたたかくて、
私の心を包み込んでくれるような力を持っていました。


この彼女のあたたかい手や凛とした笑顔の影にも、
ほんとうにどれだけのたたかいがあったのだろう。
わたしにはとうてい想像することも出来ません。


だけどこの企画が終わって、
少したって、今、色んなこと、、、
あの日のちひろさんのうたやじぶんのうた、
そしてとくに彼女のあのときの表情をを想いだして、
なにかが少し、わかったきがしています。


「うけいれてゆく」ということの強さや優しさ、
それがどれだけほんとうか。
それがどれだけ亡くなった人への愛になるか。
忘れるのではなく。
その人の死をどういうものにしていくかは、
残されたものがどう感じ、どう生きてゆくかだけなのだと。


ときには感傷に浸ったっていいし、
ときには怒ってもいいし、
わからないままでもいい、
だけれどそれでも受け入れてゆくこと。
前にすすんでゆくこと。


やっと心が納得することが出来ました。


この企画をこの春しよう、と想った
悠さんの勇気を、私は本当に心から尊敬します。


私は出逢ったばかりの彼女に、
今回色々なことを教えてもらった気がします。
言葉ではなく、彼女が今、生きて、行動している姿を見て。


本当に本当にこの企画に出演出来てよかった。


ライヴはうまくいかなかったけれど、
この日心に残ったものはとてもとても大きいです。
きっと一生忘れないと想います。



大阪のライヴを終えて、
その後ライヴが二回ありました。
自分のうたが前より確実に変わったのがわかります。
長い間前に進めずに居た迷いが晴れて、
進み始めることができてきたのがわかります。
それはずっと閉ざしていた心の部屋の扉をやっと開けたような感じで、
それは気づけば震災の後からずっと開けようとしながら
なかなか開けることが出来なかった扉だったような気がする。
自分がうたう、ということ、に、やっと覚悟が出来たような気がします。


今回のライヴでいろんなことかんじることが出来なかったら、
まだずっと扉を開けることは出来なかったような気がする。


なんだか私には、
私のうたを好きでいてくれたひろみさんが、
私をうたのほうに導いてくれたような気がしています。


ありがとう。
すべてはつながっていて
ちひろさんにであったことも
ひろみさんが私のうたを見つけてくれたことも
悠さんと今出逢えたことも。
きっとあの日あの場所に居てくださった方々も。


悠さん、
きっと彼女はこれからどんどん成長していくのだろうな、
また、逢えるのが本当に楽しみです。
本当に,企画、おつかれさまでした。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。



あの日あの場所で出逢えた方々、
本当に本当に、ありがとうございました。
皆さん、また、逢えますように・・・。


そしてひろみさん、
あなたはまだ生きているのですね。
みんなの心の中に。
あなたに出逢えて本当に良かったです。
本当に、本当に、ありがとう。
また逢いましょう。


            2013年4月12日 穂高亜希子