『ひかるゆめ』コメントです。

穂高亜希子「ひかるゆめ」へ寄せて

まず、大分前にコメントの依頼と音源を頂いておきながら、書くのが遅れてしまったこと、深くお詫び申し上げます。穂高さん、遅くなっちゃってごめんね。

出来上がった穂高さんのアルバムを聴きながら、ずっと「ことば」について考えていました。以前自分のブログにも一度書いたことがあるんだけど、穂高さんの「ことば」って、通例僕達が用いる指示や表象の形式を越えてしまっていると思う。例えばAという言葉が表すのはAという時物であってBやCではないから、僕らはそういった差異化の作用によって言葉を用いたコミュニケーションということを成立させているんだけど、穂高さんが歌う例えば「ぼく」「そら」ということばの一つ一つはその語に含み尽くせる全てのこと、もの、現象、を内包してしまう。このアルバムには入ってなかったけど、昔のデモには入ってた曲のタイトルで、穂高さんがよく用いてたことばに「宇宙」というのがあったけれど、正に穂高さんのことばは意味への直線的なベクトルを越えたて宇宙大の無方向に拡散するスケールと神秘がある。

そして、そんな宇宙を前にした時に、僕は最早日常言語で応対が出来なくなってしまう。ことばが一度無化されてしまうとでもいうのかな。だから穂高さんのうたの内包する世界と言うのは、全てを肯定するような無限大の優しさを持ち合わせているのと同時に、全てを洗いざらいにしてしまうような残忍さも同時に持ち合わせているような気さえした。記号的な意味のラベルが剥がされてしまうから。

でも、そういうことばで歌われた歌こそが本当の「うた」なのかもしれないね。

だから、本当は僕もうたうたいだから、うたで返したいと思っていたんだけど、それは成し遂げられず妙に説明的な文章になってしまいました。うん、だけど言葉を綴ることによって、一度解体された世界はまた構築されることが可能だから、それはそれで必要な作業なのかもしれないね。

いつか、また気が向いた時に、うたが、向こうからやって来ると思うから、その時はうたで返事が出来たらと思っています。その時は、穂高さん、聴いて下さいね。いつか。

アルバム発売おめでとう。

いつもいつも、ありがとう。これからも、よろしくね。

森清貴 
壊れかけのテープレコーダーズ