『ひかるゆめ』コメントです。

よく考えてみると、私は穂高亜希子さんと、出会ってから、長い時間が経ちました。
とても、たくさんの出来事があり、どうしても、これから読んでいただく文章の中でも「穂高さん」と呼べませんでした。(挑戦したのですが、なんだか嘘っぽくなってしまって。。。「穂高さん」と呼ぶのが、自分は歯がゆいのです。)
なので、親しみ深い「ほたちゃん」という、呼び名で書いています。
読んでくれてる方で、イメージしにくいようだったら、ごめんなさい。


ほたちゃん(穂高亜希子さんのこと)は、とても「はだか」なひと。

「さらけ出す」って感じるときもあるけど、そんなときは、なんていうか、がんばってそうしていたんだろう。

今の自分をひとつたりとも残すことがないように。

やわらかいところを護る為に、硬い鎧をつけてしまった ひとにも届くような うたを。

鎧の中のからだの中のもっと中に届けるには、どうしたらいい??

ほたちゃんが普段からまったく鎧をつけてないとは、私、思わない。
生まれつきとも、もちろん思わない。

ほたちゃんも、鎧を付けた戦士だったんじゃないかって思う。
私たちもそうであるように。

おもくて、硬くて、冷たくて。
でも、こわくて脱げない。

じゃあ、どうしたらいい?

ほたちゃんは、ぶつかりまくって、鎧を壊しはじめたんだ。

真剣で、がむしゃらで、痛くて。
激流に逆らって登り切ろうとしているみたいだった。

そんなライブを観たひとたちもいるでしょう。


「ひかるゆめ」を聞いたとき、嬉しかったし、驚きました。

流れに逆らうのではなく、流れるままに浮かんでいるようだったから。
そして、ほたちゃんの うたが流れそのものになって、私が浮かんでいるような感じになって、とっても気持ちよかったから。


取れたはずの鎧が、いつの間にか、また付いていたり。
傷跡から、せっかく出てきた新芽を枯らしてしまったり。
何度も何度も失敗して、どうやったら芽を枯らさないでおけるのか。

毎日、よく見て、声を聞いて、手間暇かけてきたんだと感じます。
試行錯誤して、見つけたんだと思う。

いま、ほたちゃんの鎧は、剥がれていって、傷ついたところからは新しい つやつやの新芽が出て、少しづつ少しづつ花や実をつけていってる。

でも、本人、わかってると思う。

自分次第で、あっという間にまた、鎧を付けてしまうことになり得るって。

まだ、終わらないんだってことも。

その、怖さはなくなることがない。

だけど、大丈夫。
失敗しては、ちょっとづつ学んできたから。

私たち、きっとタダでは起きないようにできているんじゃないかな。


まだまだ続くみちのなか、
そのひとつの宝物が「ひかるゆめ」(ほんとうに宝物のようなCD!!)

「ひかるゆめ」は、今まで生きてきた、これからも続く 小さな戦士の記録。

そして、わたしたちのまだ見ぬ未来や希望の呼び名。

こんなに、しずかでやさしい(つよい)うたをありがとう。

うたにあふれる愛を(そう!これは愛よね!)そっと。
だけど、惜しみなく寄り添うように、込めてくれてありがとう。


               ミッシング箱庭 木村千秋