第27夜 田口史人(with穂高亜希子)

*第27夜 田口史人(with穂高亜希子
『むかしのはなし』
5/9(月)19時開場・19時半開演
入場料500円+ドリンク代


*田口史人プロフィール。。。

昭和42年生まれ
80年代中頃から、レコード販売、CD制作、音楽関係の物書き始める。
現在、円盤店主。


*メッセージ。。。
レコードを聞いたり歌ったりします。
ステージでやることと家でやってることのあいだに夢のような時間がふと現れる、
ということがこれから大事な気がするので、そんな感じにします。
レコードは東北と暮らしをなんとなくのテーマで。



                ***



穂高より紹介
田口さん。田口さんのことも、、
あまりにも長くなってしまうから、困っています。
田口さんと自分は、不思議な関係で、なんなんだろう、
とにかく、きっとみんな田口さんのことは、よく知っているから、
今日ここでは、わたしの知っている田口さんのことを書こうと思います。


わたしは田口さんのこと、本当に尊敬しているし、
田口さんが自分よりたくさんのことを経験し、知っていて、
いろんなことをわかっていることも、
想像もできない程たくさんの音楽や人と関わってきたことも知っています。


だけどわたし田口さんにはなぜか、年齢差を感じない部分があるんです。
そういうことを感じさせない数少ない大人。
田口さんとは「友達」感覚が強い。自分が友達と思える数少ない大人。
なぜだかずっと、うまく言えないけど、クラスメイトの中に居る頼れる人、のような感覚でつきあっています。
そのクラスっていうのは多分、へんてこな人ばっかりの。(笑)


田口さんと出会ったのは私が22歳くらいのときで、
自分の音楽を始めてまだ1年もたっていない頃でした。
円盤も、多分オープンして1年経つか経たないか位でした
田口さんは、1回話しただけで、わたしの音楽を聴いたこともないのに、
ここでワンマンライブやってみない、
と突然円盤でワンマンライブをやらせてくれました。


そのライブは「ライブのはら」といって、
10人近くのミュージシャンに手伝ってもらって三時間ぶっ続けで演奏し、
歌った、自分のその後の大きな足がかりになるような、
とっても思い出に残るものになりました。
田口さんとはそこから随分深い付き合いが始まりました。
当時の私は気が狂っていたようなところがあったのだけど、
本当によくつきあってくれたと思います。


ここから其の話を少し。笑
7年ほど前。多分部屋に霊がいたりして私がいちばんやばかった頃。笑
関西の田口さんのツアーにバンドメンバーとして同行したことがあり、
そのとき1日目の京都でのライブがひどい出来だったことで、
わたしはその後のツアー中、機嫌を損ね、一言も口をきかず、
もの凄く不穏な空気で過ごした覚えがあります。
そのあとの大阪でのライブは、今でも思い出に残る凄く良いライブだったのだけど、
帰りの新幹線で、新大阪から東京までの3時間強、
怒りの冷めないわたしが田口さんに三時間説教をし続ける、
というわけのわからない大変なことをしました。
日常に戻り、わけのわからなさから正気が戻ってきて、
「とんでもないことを言ってしまった。。。」と後悔して、円盤に謝りに行ったら、
田口さんは、髪をバッサリ切っていて、
「こころ入れ替えたよー」と言って笑ってくれました。
田口さんは人に厳しいことをたまに言うけど、田口さん自身も、
どんな人から言われたことでも、対等にちゃんと話を聴く方だと思います。


そしてその後も、私が突然思い詰めて、
今日できた曲を今すぐ聴いてほしい、と円盤に突然押し掛けたり、
忙しい中、何度も時間をあけて録音してくれたのに、
今すぐ仕上げたいから早く時間をあけてくれ、
今すぐ今日あけてくれと押し迫ったり、(!)
田口さんの誕生日ライブに呼んで頂いたのに、
その日自分の精神状態がかなり悪く、ライブでは不穏な空気を出しまくり、
ハッピーバースデイの曲をピアノでめちゃくちゃに弾いたり、
(そのあと数ヶ月か数年後、円盤の前を通り過ぎたら、
田口さんが「誕生日なんて知らない」というイベントをしていて、笑ってしまった。
その後も誕生日にはライブはされていないよう。)
本当に今思うと田口さんには信じられないような、
本当にめちゃくちゃな我が儘をしてきたのだけど、
田口さんはその度ちゃんと注意してくれ、
とにかくわたしには円盤でライブをやらせ続けてくれました。


円盤でのライブも、まず最初の頃は音楽的にもめちゃくちゃ、
音痴であるだけでなく、1曲まともに演奏することもままならず、
自分でそれに対していらいらし、それをそのまま空気に出す。
そしてMCはもちろん、あいさつはできない、
勝手な被害妄想から、対バンの方々に不穏な空気を発し、
ライブ後は、良くないライブをしたとふさぎ込み、
人と目もあわせずもの凄い形相でお礼も言わずに帰ったり。
自分でいっぱいいっぱいだったその時期も、
やっぱり2、3ヶ月に一度は必ず、円盤でライブを入れてくれました。


そんな調子だから当然行き詰まるし、精神状態は悪化する一方で、
呼んでもらえるライブハウスは円盤と無善寺だけだったのだけど、
わたしには田口さんが、ライブに呼んでくれたり、
録音物を手伝ったりしてくれ、
わたしの音楽に対して助言を与えてくれたり、
ともかく音楽に対する自分のなにかを、田口さんが信じてくれてる、
そのことがどんなに支えになったかわかりません。


とゆうか、田口さんは多分上記のようなことすら、
「おもしろい」と思ってみてたんだろうけど。(笑)
そして「可能性」みたいな、
その人の奥の奥にあって本人すら気づいてないようななにかを見抜き、
それがいつか出てくるのを一緒に待つことが楽しいんだろう。
もちろんそのままそのなにかを当人が扱いきれず結局出てこなくても、
それすら楽しいんだろう。
そういう不思議な人なんです。田口さんは。


そして、心が落ち込んでどうしようもない休日のお昼の時間、
まるで駆け込み寺でもあるかのように、円盤に行くと、
いつも田口さんがいて、それだけでほっとしました。
いつも田口さんは突然の来客に対して、時間さえあれば、
カウンター越しに何時間でも話してくれました。
(おそらくいつも本当は忙しかったのではないかと思われる。)
相談にのってもらうときもあれば、田口さんの話をきくだけでも、
すっかり元気がでて、いつも心にパワーをもらってきました。


だからわたしは、田口さんには本当に頭が上がらない、
ようになりそうになるようで、だけどならない、
そこが一番私が田口さんのことをずっと大好きなところで、
それは、やっぱり田口さんに一方的に「して頂いた」とか、
「ありがとうございますありがとうございます」という関係じゃなく、
田口さんという人はほんとうにただ対等につきあってくれるからだと思う。
「してあげた」とか誰にも思っていないと思う。


いいライブや、音楽、それを返すことで、満足してくれる、
そしてこちらが継続して自分の音楽を模索し続けていくことを、
田口さんに見せ続けるだけでいい、
多分それを一番喜んでくれるのが田口さんで、
それ以上を求めないんだと思う。


田口さんはどんなに年が若くても、社会性がなくとも、
とにかくその人が「音楽家」「表現者」である、と認めたら、
絶対にある種の敬いを持って接するんだと思う。
そういう風に接してもらった、っていう自負がある。


それで、その認めるっていうのも、本当にひとつしかないもの、
そのひとしかできないもの、ことをやってる、
もしくはこんなひとほかにいない、っていう、やっぱり「おもしろい」
を判断基準にしているんだな、って思います。
本当に田口さんは「おもしろい」のが好きなんだな、
「おもしろい」人が好きなんだな、って思います。
そのことがおもしろいし、うれしい。


だってメリット有る無しで人選んでたら、
あんなひどい人物(わたし)とか絶対つきあわないです笑


本題です、そんなこんなで最近やっとわたしも、
自分のコト以外を楽しむ余裕が出てきて、
田口さんのライフワークを、知ること、
興味を抱くことができるようになってきました。
田口さんがレコードをかけてそのレコードについて話す。
すごい面白い。
それは、誰も知らないようなレコードばっかり。


「レア」っていう言葉あるけど、ネットで高く取引されて、
大金出せば買えるような稀少価値のついてるもの。
それだけが「レア」なんじゃないんですね。
田口さんが持っている大量の「レア」なレコードは、
そのへんで100円やゴミのように扱われ売られてるような、
誰も欲しがらないようなもので、
当時の街や、庶民の、個人的な目的だったり趣味でだったりで作られたような、
ほんとうに田口さんがその価値を見つけなければ誰にも見つけられないであろう一品で、
田口さんが自分の足で探し求め、見つけ、
その「おもしろさ」を発見し、大切に持っている
ほんとうの意味で「レア」、「お宝」のようなものなんです。


それを、本当にわかりやすく説明しながら、紹介してくれ、
みんなで聴いて楽しむ、
それを、田口さんはずっと円盤でのいろいろな仕事と平行して、やってきていて、
その時間の面白さを、やっと最近わたし知って、凄く好きになりました。


今回も、第1部ではそれをやってほしい、とお願いしました。
そうしたら田口さんに、穂高さんもステージ上で一緒にレコード聴きながらなにか話そうよと言って頂いたので、
今回のライブでは、わたしも一緒におしゃべりします。
恥ずかしい笑、
でも、最近自分自信もこの企画を始めてからだんだんに、
自分の殻を破ることができてきていて、
そういうこと楽しむ余裕がやっと出てきたから、
調子に乗って一緒にやらせてもらおうと思います。


そして第2部では、田口さんのうたを、うたってほしいとお願いしました。
わたしも一緒にうた、ギター、タンバリンなどで演奏します。
実は田口さんと一緒に音楽をすることも、
7年ほどずーっと一緒にやってきたこと。
田口さんの作る音楽は、ほんとうに静かでやさしい、
そしてほんとうに地味な音楽。
わたしは田口さんの本質が、ここに現れてると思っています。
ほんとは、田口さんっていう人は、本当に地味な人なんだなって思っています。


「地味」て、悪い言葉じゃないですよ、地の味。
田口さんのつくる曲の歌詞に出てくるのは、城(日本の城)とか、
いったんもめんとか、こけしとか、林檎の花とか、異人さんとかで、
田口さんのやっていること(円盤のイメージ)は、
本当に現代の時代の音楽をいつも素早く受け止めながら
皆の道しるべ的役割を担っているような感じなのに、
田口さんのバックグラウンドは、ほんとに、そういう、
やさしいむかしの日本の良さみたいなところなんだなーって、
いつも不思議に思うし、だから、
わたしなんかが一緒に演っていられるんだなと思う。
ほっとします。


だけどたまに、
ふたりで田口さんの曲やってるとほんとうに奇跡おこるときあるんです。
その奇跡は、「今日のライブには座敷童がいた」くらいの、
地味な奇跡です。笑


では今晩、一緒に地味な夜を過ごしましょうね。笑
きっとあたたかい気持ちで帰っていただける夜になると思います。
このライブイベントも今夜を含めてあと五夜です。

気が向いたら是非書林にお越し下さい。