第22夜 olim

*第22夜 織夢
『さよならイルミネーション』
5/12(木) 19時開場 19時半開演
入場料無料+ドリンク<今日は先に紹介文を掲載します。>
穂高より紹介
織夢ちゃん。
織夢ちゃんのことをブログに書くことになるなんて、
思っていなかった。
織夢ちゃんのことは、近すぎて、
書けないと思っていたからです。


織夢ちゃんは、9も歳が違うけど、一番頻繁に会っている女の子です。
織夢ちゃんと会うと、何時間でも話が出来ます。
織夢ちゃんといると、お互い多分、
会ってない間に感じていた事、想っている事が、
もう溢れて溢れて仕方ないというように、
たくさんのふたりにとって大事な話をします。
織夢ちゃんは、いつもまっすぐ、真剣に、自分の気持ちをたくさん話してくれます。


織夢ちゃんは、会った頃、とってもいろんなことに戸惑っていました。
せかいのこと、うたのこと、じぶんのこと。これからのこと。
眼に見えないなにかと戦って、もがいていました。
わたしは九年前の自分を見ているようで、
織夢ちゃんの話が、わかりすぎるくらいわかりました。
それに、自分も、まだそこから完全に出られていたわけではなかった。
いつも会ってただとりとめもなく話すだけで、
別れるときには二人の中でいつも答えが見つかって、
綺麗な気持ちを取り戻してきました。


そして、お互いのライブを見に行き合い、
織夢ちゃんは、いつも私のライブを見た後、
どれだけ真剣に見てくれていたんだろう、とびっくりするような、
一生懸命、感じた想いを綴ってくれた長い長いメールをくれます。
真剣に誰かが本気で見ていてくれることが、どれだけ自信や安心になるだろう。
わたしは織夢ちゃんが来ているだけで、落ち着いて良いライブができたりします。
そしてわたしも、織夢ちゃんのライブをみるときはいつも、
がんばれって気持ちと見守る気持ちとでいっぱいになって、
織夢ちゃんのことを苦しいくらい愛しく想います。


いつもいつも会う様になって、多分ちょうど二年か三年くらい。
その間に、織夢ちゃんは、ほんとうに変わった。
前より随分、大きくなったように思います。
そして、鏡のように、わたしも同じように変わっていきました。
わたしたちは、ふたりでお互いの傷を映し合いながら、
ちゃんと傷を治したんだと思います。
まるで双児のような、織夢ちゃんと自分の関係をほんとうに不思議に感じます。


フラットな視線で、織夢ちゃんの音楽を見ることが出来ないわたしに、
織夢ちゃんの音楽のことは、ほとんど言葉に出来ません。
だけど、音楽を見るときだけ、彼女のことを、自分と似ているとは思いません。
ほんとうにいつも、じぶんとは違う、
自分には持ってないものを彼女は持っているんだなあ、と思います。


彼女は、ほんとうにパワーがあって、そのパワーっていうのは、
まるでダンサーのように、リズムや熱を持った、
すごくソウルフルなものだと感じます。
そして、それは、
彼女がダンスをしていたことも、影響しているのだろうし、
ハーフである彼女が、持っている、血、だとも想います。


そのパワーを、織夢ちゃんはいつもステージの上で、持て余して、
どう使っていいかわからないように爆発させたり、もがいたりしていて、
そしてその姿をそのまま見せてしまって、本人は苦しんだりしているけど、
ほんとうに、彼女が見せてくれるなにかは、ほんとうに誠実で美しくて、
ものすごくドキドキするし、見ていて涙が出たりします。


彼女はいつも、真剣すぎて、誠実すぎて、まっすぐすぎて、
わたしは心配にもなるけれど、
この書林のライブは、わたしの部屋だと思って、

明日は安心してのびのびとやってほしい、やってくれると思っています。


ただひとつ、来られる方へ。
織夢ちゃんここ数日、少し体調が悪いようだから、
もしかして万が一中止になることがあったら、
大丈夫とは思いますが、
織夢ちゃんのツィッターにあがると思います。
来る前にご確認くださいね。
http://twitter.com/#!/olim_info


明日、楽しみです。
どうぞお越しください。



        
***





*olimからメッセージ

みんな 色んなことを思うから
私が私であるほど だれかと遠くなるかもしれない
でも私が私であるために
私はだれかに映しだしてもらっています
心が遠くても近くても
同じ時に生きて 同じ場所に居合わせただれかと 映し合ってる
隠してても 作ってても
表面という本質が 見えてても 見えてなくても
真っ直ぐ反射しなくて 歪んでいても
街であっても 自然であっても
私たちは映し合ってる
私は幻の本当を探しています
幻じゃないと信じてるから探すんだけど
本当だという証拠は見えないから終わりはありません
すべての人は私の鏡で
私もすべての人の鏡だから
私が私であろうとするほど
あなたはあなたであれる
素直さなんて複雑で曖昧なものが神話になりかけたときも
そう信じて そう望んで
本当の私と本当のあなたで繋がるために
人の前で 自分の歌を歌っています


三月に地震が起きてから
許し合うことを学びつつあります
偽りたくないと そうでなければ生きれないと
あんなにもがいていた時代が
終わろうとしている気がします
きっとこれから 空っぽが消える
あの時代が終わろうとしていること
私の中で もう終わっていること
私がそこに生きていたこと
すべて忘れず連れていこうと
いつか過去に後ろ姿をみたような気がする未来のなかで今
そう思っています


使い果たされつつある
空っぽのイルミネーションへの弔いと
0を認めつつある私たちが
見つけつつある本当の1への歓びを
私が信じているあたたかい光への愛を
未来への意思と祈りを
世界の真ん中に居合わせただれかが映しだす
私の本当の心から 捧げたいと思います


長くなってごめんなさい、
長くなりすぎるので迷ったのですが、あとひとつだけ。
理由は色々とありますが、
被災地へのお見舞いの言葉は、ここではあえて書かないことにします。
そして、穂高さんのこの企画の趣旨に、深く共鳴しています。
私たちが無力感から這いだして、
すこしでも元気になって、未来への希望をみつけて、
力持ちになりつつ、被災地の人たちへお金をおくる。
こんなことができるなら、
理屈抜きで、すばらしいと思っています。


穂高さんがこの企画を、迷っていた私たちに先駆けて、
戸惑いながらも、勇気を持って押し進めていってくれたことが、
私にとって、今いちばんの光です。
あの場所で、すごい夜が、なんどでも生まれてる。
きっと、あんなにいいライブをしているひとも、
毎日、あんなにいい自分でいられているわけじゃない。
きっとあの場にみずから立つことで、
そんな自分へと、自分を導いているんだとおもう。
心の奥底でわかっている「生きる」方へ、
導かれてしまうのが音楽なんだとおもう。
ひとがみていて、じぶんがいて、
ひととじぶんの間で、なにが光か、
お互いに答えを求め合っているから、光を探しているから、
あんな夜が生まれるんだね。
きっと主催者の穂高さんが一番、驚いていることでしょう。
穂高さんの志が、アーティストへ、お客さんへと響いて、
みんなの光をひきだしています。
弱さを、強さを、映し合って、
あの場に居合わせた人たちで、
ただ居合わせるだけで、
黙っていても、話してみても、
おたがいを勇気づけ合えてしまうような、
不思議な、静かな、あたたかい空間です。
私もそんな夜をきてくれた人と紡げるように、
大切にうたいたいと思います。
まだこの企画で書林にきたことないひと、
私の表現が気に入っても入らなくても、
来てよかったと思えてしまうかもしれません。
そんな企画です。


 おやすみなさい。