「うたと音、風の色」の夜


「うたと音、風の色」at高円寺無力無善寺
本当に、本当に、素晴らしい一夜となりました。有難うございました。
そうとう長くなってしまいましたが感想などを記しました。
読むのに気合い要りますので、どうぞ、気が進むかただけ御読み下さい笑

 
望月治孝さん、三村京子さん、吉田悠樹君、関島岳郎さん、利光雅之君、
そして私穂高、この6組でこの夜ライヴを出来て本とうに良かったです。


望月さんは立ち姿がいつもに増して美しかった、
低い音がとても綺麗で、いつもながら、
ひとりで音や、見えないなにものかと闘っているようでした。
望月さんはいつもひとりで、なにものかと勝手に闘っていて、
それは一見ひとりよがりで、
私たちは全くその世界には入れてもらえない。
ただはたから傍観する。
それは一見じゃなくてもひとりよがりかもしれないけど、
そのひとりよがりを12年やり続けること、
たったひとりで。相手の居ない闘い。
私は望月さんが音楽を続けていてくれて嬉しい。
何も変わらないで居てくれて嬉しい。
本人は自分で良くなかった、と言っていたけれど、
昨夜の演奏も、私は本当に良かった。


吉田君は二胡、轟々と、聴いた事もない研ぎ澄まされた音。
うたは本当に繊細で消え入るような透き通った声で、
吉田君の震える筆圧の薄い字のように儚い優しいうたでした。
この細さが、吉田君の音楽なのだと思いました。
二胡のあの芯が通りながらも人に寄り添う繊細な、
情感溢れる揺れる線のような音は、
この細い細い吉田君の神経・感性から来ているんだなぁ、
と改めておもいました。とっても綺麗だった。
うたはまだ始めたばかりだそうだから、カバーと自曲半々でしたが、
吉田君がこれから自作の曲をつくっていく、と言っていて、
とても楽しみに想っています。
そして二胡の音はまだまだどこまでも素晴らしくなっていくんだろうな、
と本当に楽しみに想いました。


利光君は、12年前からずっとやっている曲たちを、
やっぱり昨夜もいのち燃えるようにうたっていました。
利光君も、やっぱりなにものかと闘っている、
でもけして苛立っている訳ではなく、優しい。
それは望月さんも同じ。
最初から誰にも対抗しないかわりに、敗北もしない、
だから少し離れていさせてほしい、
そして遠くから世界を美しく見ていく。
そんな願いが結晶になっているんだ、と、勝手に思いました。
その願いのかけらたちがきらきらと光って、凄く美しかった。
昨夜を最後に、ライヴはお休み、
次はいつになるかわからないそうだけど、
また次に見れる時利光君がどんな曲をうたいはじめるのか、楽しみです。


望月さん、吉田君、利光君、3人とは出逢うべくして出逢った気がして、
やっぱり核のところが皆近いものがあるから、
最初に惹きよせられるように出逢ったのは、
偶然じゃないのだと思いました。
始まりは同じ場所で、そこからみんな、12年、
少しずつ変わって行ったり、変わらない部分も残しながら、
今、まだこうやっていっしょにやれること。
とても尊く、心強くおもいます。
そんな気持ちを、確認するみたいに、
一年に一度は必ずみんなと競演してきたし、
やり終えると「またやろうね!」となる人たち。
今年も最後に皆と競演できて、とっても嬉しかったです。


そして三村さん、今年は3回も競演しました。
三村さんのうたは、昨夜も本当に素晴らしかった。
うたやギターの上手さや声の凄み、選び放たれる言葉、
彼女が持って生まれた才能とおそらくしてきただろう努力は、
自分とは比が出来ない、だって全然違う。
だから比べる事じゃないんだ、とおもいながらつい比べてしまうと、
いくらでも自分の音楽を否定できるけど、、
でもそう思うのはやめようとおもいました。
三村さんも私の音楽にどうやら同じ事を感じているみたいだから・・。
お互いがお互いを比べては自分なんて、と言っている。
言いながらお互い多分意識して、ライバルと思っている。
心から好敵手と思える同世代の女性歌手が居てくれるのは、
なんて幸せでしょうか、
上記の三人に出会ったように、
きっと今、三村さんと核の部分が凄く近づいているから、
本当に今年は、急速に私と三村さんが、惹きよせられた一年でした。
昨夜のライヴも、何度も涙腺を刺激されかけた。
悲しさと優しさ。強さと弱さ。


ここから、また10年後、みんながどんなふうに変わって行くのか、
変わらないでいるのか、本当に楽しみです。


そして関島さんは、ソロライヴと、私と一緒に3曲、
素晴らしい演奏をしてくださりました。
関島さんの音楽の関わり方、音の出し方や向き合い方は、
本当に自分や自分の周りのひとたちとは、ちょっと違うように思いました。
自分が音を握りしめるように、
おいかけるようにつかまえようとしているとするなら、
関島さんはまるで音を放して行くように、追いかけず、
いつもそこにあるものを待っているように感じました。
それは、「自分」というものと重ねようとしていない、
「世界」の方に近づいている感じがして、
太古からの音楽のあり方に近いような気がして、
懐かしいような、ほっとするような、不思議な気持ちになりました。
やっぱり関島さんはシャーマンのような気がしていて、
関島さんの音にはものすごく神秘を感じました、
島だったり、海だったり、夜だったり。夜というのは、
なんだか電気のなかった時代の夜みたいな。
この大きさ、広さは、
昔の表層的な部分でしか音楽を聴けなかった頃の自分には、
わからなかったかもしれません。
今の私だから、今回音楽を初めて12年目にして、
関島さんという雲の上にいらっしゃるような音楽家の方を、
無善寺に招かせて頂けたのだとおもいます、
この場所で、関島さんの素晴らしい演奏を聴くことができて、
本当に感動しました。
関島さんは無善寺が初めてでしたが、落ち着く、と言ってくださり、
なんだか私がほっとしたり、
マスターと関島さんが話しているのを見て嬉しくなったり。
若いみんなも関島さんが居てくださった事で、
同世代だけでやるのとは違う、
ぴりっと引き締まる感じがあったようにおもいます、
みんな関島さんが見てくれていて嬉しそうでした。
私もいまだに緊張し、無善寺で隣に関島さんが居て、
一緒に演奏してくださっていた事が不思議で、
今思い返しても、本当に嬉しく思います。


自分の演奏は、ひとりで「光」「恋をした男の子」「水はうたう」
そして先日亡くなった、一緒にミッシング箱庭というバンドをやっていた、
大事な友人の大柴陽介くんがつくった「鳥が飛んでいる」をうたいました。
家で練習するたびに、その曲の優しさに泣いてしまうのだけど、
ライヴでは泣かないよう決心して望みました、
然し乍ら、最後の最後で、客席で、ミッシング箱庭の
もう一人のバンドメンバーの木村さんが泣いているのが見えて、
やっぱりちょっとだけ崩れてしまいました。でもうたえてよかった。
そして「風」という曲を関島さんと二人で、
「いつか」「夜明けのうた」を
吉田君と関島さんに参加して頂いて演奏しました。
異様に落ち着いたり崩れたり持ち直したり、
短いライヴの時間の中で感情がぐらぐら揺れるライヴでした。
でも、久しぶりのライヴ、
なんとかちゃんとうたえたかな、と許せるものではあったから、
終わった後、MCがくどく長過ぎたなと思い、落ち込みながらも、
次も頑張ろうと思いました。
昨日は自分がおもうより声がでてくれて、それにたすけられました。
前日に、大根蜂蜜あめをつくって飲んでいたおかげかもしれない、
咽が痛い人におすすめです・・!


そうとうに長くなってしまいました。
なんといっても昨日は物凄く長い時間の中、
あたたかくじっくりと真摯に聴いてくださったお客様のあたたかさに、
本当に、心支えられました。
音楽を本当に愛していらっしゃるのが、
こちらにもひしひし伝わってくるお客様の優しさに、いつも感動します。
皆さん、6者6様の音を本とうに楽しんでくださってたようで、
帰り際、とっても嬉しいお言葉をたくさんいただいて、
企画者としては本当にほっとしました。
本当に有難い事だなぁ、と思います。
無善法師、に関してはもう写真を見てもらえれば、
わかるでしょうから、ノーコメントで笑


今年一年、無事に過ぎて、最後に大事な人がたくさん来てくれて、
こんなイベントができたこと、本とうに良かった。
自分は本当に恵まれているなあ、と思います。
出来る事は多くはないけれど、
これからも出来る事を、やっていこうと思います。
皆さん本当にありがとうございました。


穂高

関島さんの優しいお顔・・

なんだかんだ仲良しです笑