真夜中。三月。ツイッターのこと。


真夜中。
やっと、ずっと気になっていたメールを返信出来て、
まだ、返さないといけないメールあるのだけど、
ひとまず、安心して、これを書いています。
久しぶりに超長文です。どうぞ無理せずに。



あまりの忙しさに、ずっと、
とうみんにっきが、全然書けなかった。
本当に心から落ち着かないと、わたしは大事なメールも
とうみんにっきもかけなくて、
今回はツィッターに救われていました。


大事な事を、ここに書かずに
ツィッターに全部書いてしまって、
ブログを楽しみにしている人には申し訳ないという気持ちと、
あの大切な日々がここに残らないことに、
ああ、残念だなぁとおもいながら、
だけど、ツィッターは外出先でも気軽に書けて、
たくさんの人に見てもらえる事が、
忙しい時はとても役に立ち、助けられました。


おかげで、ほたる音楽会はたくさんの人に来てもらえて、
本当に嬉しいばっかりでした。


ずっと、ツィッターとかこわかったし、
苦しくなって一度は辞めてしまったし、
自分が簡単に言葉を吐く事がこわかったけど、
今は、いろんなこと勇気をだそうとおもっています。
人の中にはいっていく、
今はそういう時なのかもしれません。


みんなの中にまぎれて、自分の大切な気持ちも全部、
平等にスルーされて行く事も、許せるようになったこと。
それは、じぶんで許そうと決めたことで、
大きな変化で、きっと、だいぶ大人になる事でした。
というか、大人になろうとする事でした。


今極力、タイムラインを見るようにしていて、
やっと人の言葉を受け入れるようになれてきました。
良い言葉もたくさんあります。
みんなが元気で良かったなとおもうことも。


人の言葉に違和感を持たない事、ひとつひとつ、
前はすぐに、なんてくだらない、なんておもってたけれど、
ほんとはくだらないことなんかじゃなくて、日常の、人の想い。
それを聞いたり、喋ったり、パソコンの上だって、
みんなずっといろんなことおもっているんだなぁとおもって、
私の言葉と、相手の言葉に、重みの違いはない。
それを、大事におもえて、楽になりました。


ネットの中には、本当にくだらないのも、多分あります。
吐きそうになりそうなくらい汚い言葉の羅列も。
だけど、そういう人はフォロ−しないから大丈夫。
私が関わって、知ってる方は、誰もひどい言葉は呟かない。
だから、本当にそういう事を目にする事はない。
目にしても、関係ない。信じてないから。


ずっと、インターネットはこわかったし、
今も、やりすぎたあとなんかは、後悔したりする。


だけど、それもいい、許そうとおもう。
汚いのも、だらしないのも、あるよ、っておもう。
そうおもえてから、世界が明るくなってきました。


ずっと、とうみんにっきを読んでくださってる方は、
私がどんどん変わって行くのを、
がっかりされる事もあるかもしれません。
ツィッターで私が友達と軽く話してるのを見て、
寂しくなることもあるかもしれません。
ツィッターやっていない方は、ツィッターやってるのを見ると
疎外感をかんじることがあるとおもいます。自分はそうだった。)


だから、つぶやいたあと、必ず毎回、
誰かこれを見て軽蔑してるんじゃないかとか、
ホタカさんってこんなくだらない奴なんだ、
馬鹿じゃないの、って
誰かにおもわれているんじゃないか、とか、
自分の言葉が誰かを傷つけているんじゃないか、とか、
妄想で、自意識過剰になって、不安になる。


変な事言ってしまって、早く消さなきゃっておもうと、
動悸がしてきて、恐ろしくてたまらなくなって、
慌てて消す事も、日常茶飯事です。


だけど、今は素の自分のままを見てもらえる事も大事だと想って、
消したいとおもっても極力消さないように努力してる。


だって、こんなくだらない奴なんだ、
とおもわれるとしたら、隠してもしようがない。
多分そのひとがおもように
そのひとにとってはくだらない奴なんだとおもう。


こっちも、本当だけど、あっちも、本当。
私は全然真面目な人間じゃない。
普通の現代の若者の、軽い部分もたくさんある。
ほんとうに、くだらない部分もたくさん。
日々、自分でがっかりしてばっかりだもの。
ああ、自分の考え方くだらないな、って。
だから、もしそうおもわれても仕方ないとおもう。


そうやってあきらめたり勇気を出したりしながら
言葉を吐く事を繰りかえしている上で、
それでもやっぱりどうしても、
自分の言葉を許せなくて消しちゃう時もたくさんある。


タイムラインにずらっと並んだ言葉を見て、
いつも、みんな凄いなぁとおもう。
堂々と、なんの疑問もなく
みんなほんとうに気軽にふわっと呟いてるようにみえる。
でも、みえるだけで、ほんとうは、一緒かもしれない。
もしかしたらみんな、ああ変な事言ったなとか、
後から消したくなってたりするのかもしれないね。


私も、練習。
自分のおもってることに興味を持っていない人の前でも、
わたしはこうですよ、って言えるようになるための。
くだらないところも人に見せるための。
人をこわいとおもわないための。
内と外をつなげるための。
自分がいる世界を信じるための。


とうみんにっきを見てくれる人は多分、
私のこの、ときに支離滅裂の文章を
肯定してくれる人の方が多いだろうから、
普段は滅多に消したくなったりはしないけれど、
でも、最初のころは今のツィッターにたいしての気持ちと同じで、
本当に慎重に、慎重に、ものすごい警戒しながら書いていました。


あの頃は何時間もかけて、書いて、何度も推敲して、
余分なところは全部削除して、
厳選されつくした言葉で、そのページを完璧にしようとしていた。
綺麗で、澄んでいて、夢みたいでないといけなくて。
あの頃は絶対に、間違ってる事を書くわけにはいかなかった。
自分は絶対に、そういうほんとうでない世界(私の中の思い込みの)
にはまぎれたくなかった。


でも、表面だものそんなもの。
みんな、心の中に何を抱えてるかなんてわからない。
自分が大切におもってる事なんて、
言葉にせずに、ただひとり、心の奥底で大事にし続けて、
一生誰にも見せない人の方が多いかもしれない。


世の中には自分などよりよっぽど愛ある人がどんなに沢山居るか。
ある日、自分の愛のなさにはっきりと気づいた。


そういうこと気づいてからの、今の自分の方が、
きっと、大きくなったと、自分ではおもえます。
もとがちっちゃすぎたから、
多分やっと少し普通に近づけたくらいだけど笑。
正しいだけじゃないことも、ほんとうだけじゃないことも、
もうだいぶあきらめる事が出来た。


多分、愛は、ほんとうだけじゃなくて、ただしいだけじゃなくて、
きれいなだけじゃなくて、だらしなくて、汚れていて、くだらなくて、
そんななかにもたくさんある。最近そんなきがする。


もちろんあの頃のとうみんにっきの文章も、
かけがえのない宝物です。
一生懸命書いていましたよ、そのときなりに、ほんとうであろうと。


書林のイベントが終わって、少し心が落ち着けて、
最近、録音していた音源をまた聴きかえしています。
ひかるゆめも大好きだけど、
今回のも今もっと好きにおもえていて、
それは自分のうたが明るくなったような気がするから。


明るくなりたい。
生きて行って、全部受け入れたい。
正しいだけじゃないことも
ほんとうだけじゃないことも。
くだらないことも意味のない事も。
自分の事も他人の事も。
古い事も新しい事も。
受け入れたい。
全部は無理だな、半分くらいは!


書林のこと、2月のこと、早く書きたいなとおもいながらも
久しぶりだったので、先に、最近ずっとおもっていた事を書きました。
支離滅裂な文章、長々と読んでくれてありがとう。



3月がやってきました。
誕生日の月。
冬から春に変わる毎日の変化を
じっくりと感じられる特別な季節。


早く春が来たらいいなと想うけど、
3月、あっという間に過ぎ去ってほしくはないですね。


まだまだ寒いですが、皆様風邪をひかないように
あたたかく過ごしてくださいね。


ほたる音楽会の事も近いうちに、書きたいです。
おやすみなさい。


穂高