『ひかるゆめ』
『ひかるゆめ』のコメントをいただきました。
自分がずっと好きで、尊敬し憧れているアーティストの方々からの、
どこまでも丁寧で、真摯な言葉。
何度も何度も繰り返し読み返し、
死ぬほど嬉しい気持ちと同時に
いただいた言葉をとおして
自分自身もいろいろなことを想わされました。
いままで自分が感じてきたことやいろいろ。。
音楽のうしろに人は何を見るのだろうか。
歌って不思議です。
言葉って不思議です。
わたしも自分のことをなにも知らない。
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穂高さんの歌はリスナーの心の奥に届く。それは声、歌詞、音のすべてが彼女の心の奥から湧き出たものだからだろうと思う。
このファーストアルバム「ひかるゆめ」はライブで繰り返し歌われてきた自選曲集だが、穂高亜希子というシンガーを永遠に記録する、そしてずっと長く聞き継がれる1枚となるだろう。
このような歌を探しているリスナーは常に存在するし、彼らの耳と心に必ず届けなけばならない歌だからだ。
●ゆーきゃん
この歌は、
ちっともやさしくない。
とてもきびしくて、
なにかを投げつけてくるようだ。
放り出しているようだ。
でもこの歌は、
けっして、拒んだりしない。
吸い込んで、照らし出して、
ぼくらのあたまの上、ふんわりと、それでいて圧倒的な確実さをもって、
そこにある。
このアルバムは、
穂高亜希子の歌を、はじめて聴いたときのイメージのまま。
まっさおな、青空みたいだ。
ちっともやさしくないのに、やっぱり見とれてしまう。
困ったな。
●ゑでゐ鼓雨磨(ゑでぃまあこん)
穂高亜希子・ひかるゆめを聴いて
小さな歌がどんどん大きな歌になる、そのゆっくりとしっかりと歩く足音や息遣いを感じているような。
ずっと昔から伝わってきた歌ような錯覚。
穂高さんの歌を聴いて、澄んだ水の中から聞こえてくるような、
そこに住んで生きている人の民謡のように感じました。
●頭士奈生樹
穂高さんの歌を聞いたとき、「あきらめているな」と思った。「空は青く澄んでいて、海は深く静かだ。もうそれで十分ではないか」そんなあきらめかたをしている、と勝手に思った。もちろん、共感を込めて。
さらに「救済」という言葉が浮かんだ。彼女が救済しようとしているからなのか、すでに救済されているからなのか、それは僕には分からないけど、自分を何かの呪縛から解放してくれるような歌だと思った。
穂高さんの歌は、夢を見つめ、現実を触りながらも、いつも「私」に立ち戻る。常に立ち戻る。たとえば「忘れてしまったあのことを、忘れてしまおう」とすることは、そういうことだと思う。でも最後には、その「私」を、差し出しているんじゃないだろうか、外や内の限りない方向へ。
だから僕は、「ひかるゆめ」を繰り返し聞きながら、少しヒリヒリとした痛みを感じながらも、自分が救済されていくのを感じている。
穂高さんの音楽は静かだけれど力強い。
穂高さんの人柄がきっとそうなのだろう。
言葉と音の余白も静かに強く胸に響いてくる。
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