ありがとう


遅くなりましたが、12月2日、
入谷なってるハウスでの穂高亜希子・熊坂路得子duoライヴ
お越しいただいた皆様、関わってくださった皆様
素晴らしい時を本当にありがとうございました。


まだ一週間しかたってないのに、
なんだかもうひと月くらいたつような気がしています。
今週一週間は仕事をしたり友達と会ったり、
のんびりと、でもあっという間に過ごしました。
2日のライヴが終わって、
久しぶりにほっとした気持ちで日々を過ごせているのだと想います。


今回のライヴは、路得子さんの曲を一緒に演奏するという、
普段の私のライヴとは少し違った大きな課題を抱えていたので、
ここ何ヶ月か、とっても楽しみでもあり、
実は凄く凄く緊張と、不安(できなかったらどうしようという)に
日々焦燥感を感じて暮らしていました。
路得子さんや他吉田君や服部さんなどだけじゃないけど皆が普段やってること、
他のミュージシャンの曲を演奏するというのはこんなにも緊張するものなのか、
そして本番にばっちり合わせてくれるその集中力。
皆本当に凄いなあと今更気づきました。


路得子さんとのホタカ家での練習一回だけでは不安で、
当日ライヴ前に二人で上野のスタジオに2時間入り、
リハーサルでも2時間ほど練習を兼ねさせていただき、
とうとう本番を迎えて。
たくさんのお客様が、遠いところから、
わざわざ来てくださいました。
久しぶりの友達の顔や、いつも来てくださるお客様のお顔、
初めて拝見するお顔もちらほら。
本番前に客席を見て、なんだかすっごく嬉しくなって。
緊張もしていたけれど、とっても心晴れやかになりました。


そして本番、まず第一ステージは、
路得子さんとの曲を、私が一緒に奏でるというもの。
少しの失敗もあったけれど、
とってもとっても楽しく演奏出来ました。
ピアノとアコーディオンの即興演奏を混ぜながら、
路得子さんの曲を楽譜を見ながら一緒に奏でました。
普段の歌を歌う私とはちょっと違う様子だったと想います。
路得子さんの曲は一曲一曲とても素晴らしく、
自由に楽しく演奏出来て、本当に楽しかった。
久しぶりに音楽をやっている、という感じでした。
「久高島」という曲をやっている時は、なんだか本当に
指と耳だけになったような心地でした。
路得子さんのうたの伴奏をさせていただいたのも
路得子さんのうたにものすごく熱くなった。
(アコギの弾き方に妙な貫禄があり男気溢れてたとあとで言われました笑)


そして第二ステージは私の曲を二人で演奏しました。
路得子さんは本当に私の曲を大切に演奏してくださり、
私は本当に嬉しくて、とても嬉しくて。
凄く気持ちよく歌わせていただきました。
また、なってるハウスのピアノは本当に音が良くて。
今年最後のライヴということもあって、
いつまでも終わりたくないような気持ちで、
たくさんたくさん歌い演奏しました。
かなり長かったのではないでしょうか、
長時間おつきあいくださった方々本当にありがとう。


なんだか長年人前で音楽を演奏していると、
こんな夜のように、すべてのそこに居る人々や音楽自体や世界やなにかに
まるですべてに祝福していただいているような気持ちで
多幸感に包まれながら演奏出来る瞬間が訪れることが今まで何度もあった。
いつもそうというわけじゃないし、
いつもそうだったら甘えてだめになってしまいそうで,
いつもじゃなくていいのだけど、
自分に厳しい感じのライヴを続けていると、
ライヴは修行、みたいな気がしているときに、ふっとこういう、
まるで世界からのご褒美のような瞬間が訪れる時があって、
そういうときに、音楽を続けてきた喜びとか、幸せ、
いろんな人に出会えて、
自分のうたを聴いてもらえていることの素晴らしさとか、嬉しさに、
日々のいろんな憂鬱なことも苦しいこともすべて報われるような気になる。
からだが透明になって軽くなって、
浮き上がって、空に近づいていくような、
普段の何十倍も心が澄んで清らかに水のように潤っている、あの感覚。
そういえば、
何度も音楽にこういう気持ちにさせていただいたことはあったのに
どうして私は忘れてしまっていたんだろう、とこないだふと想いました。


いつもライヴが楽しみではなく心の重荷になっていて、
それでもライヴをやめないのは、
この瞬間の幸せを自分の身体が記憶しているからなのかもしれませんね。
音楽を通じて、おなじなにかを持っている人と出逢えたこと。
それはわたしのかけがえのない宝物となっています。


そう、きっと、私の前に居る人は、自分と似ている部分があるのだと想う。
私は私の音楽を聴いてくれる人に対してそのように想っているから、
おそらく私がいままで世界に存在する上で感じてきた、
違和感のようなものと似た痛みも、
そのひとはどこかで持っているような気がする。
もちろん全部おなじではないけれど。
どこか鏡のような感じがして、
だからなんだか少しわかるような気がして、いやわからないけどね、
そのひとたちが明日からまた仕事に行くことや、
どこかで生きてる日常のことをふっと想う。
そしてそれをその瞬間だけでも祝福することができたらいいなと
そんな気持ちで祝福されているのだけど祝福したいような
精一杯の気持ちで演奏しながら自分のいのちや路得子さんのいのちや
客席に居る方々のいのち、それが嬉しかった。
けろよんのいのちもね。(この夜けろよんは終始ステージに居たのです)
だってありきたりな言い方だけど今は一度だけだから
許してもいいような気がしてたのかな。


うん、よくわからなくなってきたけれど
すべてははじまりは自分へのセラピーになってしまうのだけど
(そういうのはいけないという人も居るかもしれませんが
やっぱり私はそういうはじまりで音楽をやっているのは否めない。)
それが広がってなにかのビッグバン的な小宇宙というか
本当に小規模なものであっても、それはやっぱりなにかの
すこしだけ世界のなにかの輪郭をかたちどるような
自分の中から世界の全てに働きかけようとする試み
になるような気がしていて。
音楽をするということはきっと
それがどんなものであれそういうことなような気がする。


それで、私はあのライヴ以降とても心が楽になっていて、
こころなしか仕事先や道ばたでも
自然に存在することができるようになっている。
いつまた変わるかわからないけれど、
心にあった恐怖感が、少しだけ、今はだけど、消えている。
ここ数年、というかきっと生まれて30年間、
こんなに気持ちが楽になっているのは初めてかもしれません。
またいつすぐに飲み込まれるかはわからないけれども。


あの日に居てくれた人、
そして居てくれた人だけじゃなくて
気にしてくださっている全ての人に
本当にありがとう。


このライヴでの路得子さんとたくさんの心の交流がありました。
あんなに誠実で心を本当に音楽だけでなく
人に惜しみなく与える音楽家はなかなか居ません。
路得子さんにほんとうにほんとうにありがとう。


そしてやんてらさんがいなければ路得子さんとも会っていないし
この夜もなかった。
素晴らしい企画をいつも企てていて、本当に音楽が好きな人なのだと想う。
やんてらさんにほんとうにありがとう。


素晴らしい音響に、にこにこと笑顔のPA小林さんや店長。
素敵なライヴハウス、入谷なってるハウスさんにありがとうございました。


そして遠くから雨の中訪れていただき、
長い時間をあたたかく見守ってくださり
一緒に過ごしてくださったたくさんのお客様に
本当にありがとうございました。



そして音楽と、人と、空間と、こころとからだに感謝。
ありがとうございました。
るつこさんとけろよんと。