むりょくとひかり


7月1日の日記を見て、何人かの方がそれについてのお返事をくださいました。
ほんとうに、ありがとうです。
ほんとうに励みになります。


ああいうこと書くと、やっぱり、
ああ、全部簡単に言えることじゃないって、
後から後悔することばかり出てくるし
わたしは、ほんとになんにも知らないし、わかってない。と思うばかりです。


子供の避難、というのも、実際は簡単なことじゃないのはよくわかる。
わたしが言ってることは理想ばかりだし、
やっぱり遠くから言ってる外野の目線なのかもしれない
かもしれないというか、そうです。


だけど、理想だけど
それが理想だよー!と思うのです。
だだっこみたいに、ただおもっています。


そして、「正しい情報を知っておきたい」なんて書いたけど、
いったいどれが正しいのか全然わからないし、
わたしはあんまりネットサーフィンもツィッターもあまりしないから、
情報も多分全然知らないほうだとおもうし、
自分からめちゃくちゃ調べたりはしていないと思います。


だけど、そうしなくても、日常の中で目に入ってくる耳に入ってくるもの、
それを、なんとなくの勘で真実かどうか選んでるようなきがしていて、
でもなんとなく、その勘を、大事にしているようなきがします。
情報も生き物だから、惹き付けられる、もしくは寄ってくるものは、
ひとと同じで今自分に必要なものなんだと思うのです。


でもやっぱり、全然考えが甘いな、って今思うし、
これを見て、こいつ馬鹿だなって思うひといたら、
そうです、馬鹿なんです。なにもわかってないんです。
もし意見があったら是非おしえてください。


あと、先日の日記で、ひとつ嘘つきました。
児童館のしごとやめたのは、
体調もあるけど、一に、大人ともめたからでした。
あのときほど、悔しかったことはない。


自分の無力さ、
ある種の人間の前では、自分が思ってる正しさが何の価値ももたないこと、
まず言葉の前に、経験と地位がないことで最初から、対等でないこと。
自分が相手を納得させられる言葉を持ってないこと。
おかしいって思うことに、おかしいっていう理由をちゃんと伝える能力が、自分にないこと。


おかしいことってこんなにあるんだって、おかしいってことだけがわかってて、
でも変えられない悔しさ。
この世界はそんなことがたくさんあって、
それを嘆き、ただ、憎み、泣いていただけでした。
そして自分の言動も信用できないのはほんとうにむなしい。


なんか最近も似たような気持ちです。
だけど、嘆いて憎んで泣いたってなにも変えられないことはわかっている。


こども、大人、って、ひとまとまりにしちゃうのは、ちょっとちがったり、
福島の人はやさしいって、書いたけど、
もちろんそんなひとまとまりにできることじゃないし、
言葉ってほんとうにむつかしい。


でも、そういうのいったん抜きで、
こども、って言葉つかわせてもらいます。


こどもは、こどもだけどこどもじゃなくて、
いろんなことわかっている。
でもこどもにとっておとなはどこまでもおとなで
こどもはおとなのこと信じて見ている。


働いているときそう思いました。


わたしはそのあいだにこどもにたくさんいろんなこと教えてもらって、
ほんとうにこどもたちの感性を凄いと思ったし、
こどもという存在を尊敬しています。


あるこどもが、
あるひ言った言葉を、ずっと覚えています。


小学校1年生のこどもたちがこくごの宿題をやっていました。
漢字を3行ずつ書く宿題だった。
そのなかで「お金」ってことばがでてきて、
こどもたち国語のノートにお金お金お金お金って書いていました。
それを見て調理のおばさんの先生が、
「お金、一番大事なものよねー」ってこどもに言った。
そしたら、こうきくんって子供が、
「ちがう、一番大事なのはいのちだよ」って言った。
なんかびっくりした。


あのこは元気かなあ。


やめるとき、何人かのこどもが言ってくれた
「わすれないよ」って。
もしかしたらもうわすれてるだろうし、わすれたっていい。
でも嬉しかった。


あのこたちの未来を、一ミリもおかしてはいけないよう。
大人なのになにもできない。
ただ考えるばかりでなんのやくにもたたない。
だけどせいいっぱい、まもろうとしているひともいる。
あきらめてしまわないでなんとかしようとしているひとがいる。
実際にそのために行動してるひとを、すごいとおもう。
自分がなにも出来ずにいるから、せめて、
そういうひとに、集めたお金をつかっていただけたらいいなあ。
ただほんとにそうおもいます。



今日もいいてんき。
がんばろう。